奈良・鎌倉 大仏百科
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奈良・鎌倉 大仏百科 > 大仏の雑学 > 僧の街と武士の街

僧の街と武士の街

奈良は僧の街、鎌倉は武士の街とよく言われます。この街の違いから大仏の違いを見つけていきましょう。また、奈良の大仏を造るときに大変尽力を尽くし、人望も厚かった行基についても紹介します。

街の違いで大仏の顔も違うのか

鎌倉の大仏奈良は世界遺産の登録の数を見ても、寺院が多いことで知られています。一方鎌倉幕府の舞台ともなった鎌倉は、武士の都として知られています。奈良はこのように仏教の街と言ってもおかしくなく、言い換えれば僧の街とも言えるでしょう。その奈良の地に、巨大な大仏があっても不思議はありません。

仏教への信仰心も厚かったことは想像に固いものがあります。それでは、武士の街と言われていた鎌倉に、どうして大仏が造られたのでしょうか。これまで何度も述べてきたように、鎌倉の大仏が造られた詳しい経緯は、俗説しかなく、明らかになっていません。どうして鎌倉の地に大仏を造る必要があったのでしょうか。

大仏の顔の違い

奈良の大仏と鎌倉の大仏の顔つきを比べると全く違います。これは僧の街だから、武士の街だからというのはあまり関係ないように思えます。その時代時代で流行の形があったらしく、鎌倉の大仏は、鎌倉時代の仏像の流行の形だと言われています。奈良の大仏の顔は、威厳があっていかにも有り難みのある表情をしています。一方鎌倉の大仏は、奈良の大仏に比べると、少し顔の表情が柔らかく、優しく親しみやすい顔つきをしています。


奈良の大仏造りに力を注いだ僧

行基菩薩

奈良の大仏を造るときに、尽力を注いだのが僧である「行基」です。百済からの渡来人の子孫として現在の大阪に生まれました。民衆の救済にその生涯を捧げた僧で、奈良の大仏の建立にも深く関わり、日本で初めての地図を作った人物でもあります。

聖武天皇から信じられて頼りにされただけではなく、数千人の民衆からも親しまれていた存在だったのです。奈良の大仏の建立の際に、寄付を求めて全国を行脚した行基でしたが、大仏の開眼供養をまたずに82歳の生涯を閉じました。

現在、奈良近鉄駅前の噴水には、東大寺の方向を向いて立つ行基の像が建てられています。行基の命日の2月2日には、奈良市の善光寺において、毎年「行基会大祭」が営まれています。

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