奈良・鎌倉 大仏百科
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東大寺と奈良の大仏

日本の世界遺産にも登録されている東大寺。その中の巨大な大仏殿に奈良の大仏が本尊としてあります。東大寺や奈良の大仏は誰が造って、どのくらいの費用がかかったのでしょうか。東大寺と奈良の大仏について紹介していきましょう。

東大寺

東大寺大仏殿

東大寺は奈良県奈良市雑司町にある仏教寺院で、華厳宗大本山になります。金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)とも呼ばれています。世界遺産としてだけではなく、奈良の大仏がある寺院としても有名な所です。聖武天皇が当時全国に60ヶ所も建立させた国分寺の総本山にあたる「総国分寺」と東大寺は位置づけられ、総本山金光明寺となります。日本の文化に大きな影響を与えた寺院でもあります。

元々は金鐘寺がはじまりですが、総国分寺となって大仏が造り始められた頃に、平城京の東に位置するために東大寺と呼ばれるようになります。幾度となく兵火に見舞われた東大寺は、大仏と共に何度か再建され、現在に至っています。今では、信仰者よりも観光客の多い寺院になってしまいました。東大寺では、再建に深く関わった発願聖武天皇、勧進行基菩薩、開山良弁僧正、開眼導師菩提僊那を四聖としています。

東大寺を建てた人物

奈良王朝初めての男性天皇である聖武天皇が728年に皇太子を供養するために建てたのが金鐘寺で、これが東大寺の始まりとされています。この皇太子は1歳にも満たない年齢で命を落としました。この後、国分寺の建立をきっかけに東大寺としてさらなる拡大を見せていきます。

大仏建造にかかった費用

奈良の大仏を造るにあたり、費用が当時の国家予算の3倍以上もかかりました。足りない分は行基という僧が諸国を旅して寄付金を募りました。国をあげての事業でしたので、もちろん国からも資金は出ていたのです。そのため国の財政は圧迫され、今で言う税金が跳ね上がったと言います。

国民の貧窮

大仏を造ることを国家事業として行い、国民の2人に1人は大仏の工事に関わったとされていますが、国がよくなることを願って造られていた大仏なのに、国民の暮らしは良くはありませんでした。

全国から大仏造りに招集されてきた民衆は、東大寺までの旅費は自費だったのです。もちろん国に帰るのも自費でした。工事中の食事は支給されましたが満足ではなく、帰路につく為の食べ物にまで手を出して、国に帰る途中で飢えのために命を落とすものが少なくなかったそうです。地位のあるものは潤い、農民などの位の低い国民は貧しさを極めていたのです。


僧が急増

大仏造りに莫大な費用がかかり、食べるのに困った農民達はどうしたのでしょうか。それは僧になることでした。僧になれば三度の飯にも困らないということで、大仏建造の時期に、僧が急増したのも皮肉な話です。それだけ大仏を造るということは、国民を苦しめていたことにもなるのです。

このことに抗議するために、橘奈良麻呂の乱が起きるのです。国民が苦しみ、反乱が起るということは、この大事業は天皇の理想の実現のためであり、国民のためではなかったと言えるものかもしれません。

奈良の大仏を造った人物

745年に大仏造りが東大寺のある地ではじめられました。聖武天皇の発願によるものでしたが、元々大仏は別の地域で造りはじめられていました。現在の滋賀県、紫香楽の甲賀寺で作り始められていたものを遷都をきっかけに工事を中断して東大寺の地で新たに造りはじめられたものです。

多くの国民が大仏造りに関わりましたが、資金集めは行基、技術者としては、大仏師が国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)、鋳師には高市大国(たけちのおおくに)、高市真麻呂(たけちのままろ)の名前が残っています。彼らの指揮のもとで工事が進められたと見られます。工事に関わった人数は延べ260万人と言われています。

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