奈良・鎌倉 大仏百科
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奈良・鎌倉 大仏百科 > 奈良と鎌倉の大仏の違い > 大仏の建造を比較

大仏の建造を比較

それぞれ違う時代に造られた奈良の大仏と鎌倉の大仏ですが、大仏建造のきっかけとなったのはどんなことからなのでしょうか。また、莫大にかかるであろう資金はどこから調達したのでしょうか。それぞれの時代背景と共に建造方法も紹介していきましょう。

大仏が造られたきっかけ

源頼朝

奈良の大仏、鎌倉の大仏が造られるきっかけとなったことはどんなことなのでしょうか。何もないところから、巨大な大仏を造るという発想は生まれないでしょう。どんな経緯で造られることになったのかを紹介します。

奈良の大仏建造

聖武天皇が出した「大仏建造の詔」によって奈良の大仏が造られることになりました(後に詳しく掲載します)。きっかけは大阪にある智識寺という、仏教信者が造った寺院を訪れたときに見た、本尊でもある盧舎那仏を見て感激され、奈良の大仏を造るということになったのです。

行基という僧が全てを任され、今風に言えば奈良の大仏をデザインした「日野金丸王」を発掘してくることになるのです。こうして造られることになった大仏は、長い年月を経て、国宝に指定されることになります。

鎌倉の大仏建造

鎌倉の大仏に関する資料があまりにも少なく、本当のことがいまだ謎のままなことが多いのですが、「吾妻鏡」という鎌倉幕府の正史によると、源頼朝が奈良の大仏を一目見て感激し、鎌倉にも同じように巨大な大仏を造ろうと考えます。

しかし頼朝の存命中には実現しませんでした。後に現在の静岡、遠江(とおとうみ)の浄光という僧らが寄付を集めて周り、建造されたのがきっかけだとされています。詳しくは後ほど紹介しましょう。

大仏造りの資金はどこから?

大きな仏像を造るには、それなりの資金が必要になります。気の遠くなるような莫大な資金がかかったのではないでしょうか。その資金は一体どこから調達されたのでしょう。

奈良の大仏の資金

奈良の大仏は国家事業として執り行われました。かかった資金は国家予算の3倍以上で、不足した分の資金集めの勅命を受けた行基は、弟子たちと共に全国から寄付を募る旅に出ます。こうして奈良の大仏は造られたのです。

鎌倉の大仏の資金

奈良の大仏が国家事業として国をあげて造っていたのに対し、鎌倉の大仏は先に登場している僧・浄光らが大仏を造るための資金集めのために、諸国を旅して寄付金を募りました。国民の浄財によって造られたのが鎌倉の大仏なのです。このときの鎌倉の大仏は木造でできていました。

それぞれの時代背景

奈良の大仏と鎌倉の大仏は造られた時代が違うので、それぞれに時代背景も違ったものになります。

奈良の大仏の時代

現在、東大寺にあり、「奈良の大仏」として親しまれている大仏ですが、造られる予定はこの地ではありませんでした。紫香楽(しがらき)の地に造られるはずだったのですが、当時の紫香楽は火事や地震が頻繁に起こり、都を平城京に移したことから、大仏の建造も東大寺の地に変更されたのです。

この時代はこうした火事や地震などのほかにも流行り病なども多く、政治的な争いも絶えず、不安な時代であったといえるでしょう。

鎌倉の大仏の時代

この時代は鎌倉幕府が開かれ、浄土信仰が高まってきた時代でもあります。物事に対する古い考えや道徳が振り払われ、新しい価値観や世界観、人生間を求める新しい時代の到来ともいえる時でした。こうした中で鎌倉の大仏は、国家のもとではなく、民衆の手によって造られていくのです。

大仏の建造方法

大仏の建造方法

大仏の建造方法はほぼ同じで、塑像を使って外側に鋳型を作り、間に銅などを流し込んで形作っていくものです。鎌倉の大仏は塑像ではなく、木造であったのではないかといわれています。奈良の大仏は8回に分けて下から徐々に鋳込んでいったようです。

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